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仙台高等裁判所 平成6年(行コ)1号 判決

控訴人

安積富男

右訴訟代理人弁護士

吉岡和弘

齋藤拓生

被控訴人

仙台市建築主事

横山直樹

右指定代理人

大塚隆治

外四名

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人が、株式会社大京に対し、別紙物件目録記載の建築物について平成三年二月二六日付けでした建築確認処分を取り消す。

三  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

主文同旨

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  事案の概要

一  本件は、被控訴人が主文第二項記載の確認処分をしたところ、その対象建築物の敷地と道路用地を隔てて隣接する敷地を所有し、同所に居住する隣接住民である控訴人が、右確認処分は宮城県建築基準条例(以下「県条例」という。)五条一項本文に違反し違法であるとして、その取消しを求めた事案である。

これに対し、被控訴人は、右確認処分は同項ただし書二号に該当することを理由にされたものであるから、控訴人主張の違法事由は存しないと主張する。

したがって、本件の争点は、右確認処分に係る建築が県条例五条一項ただし書二号に該当するか否かである。

二  争いのない事実等

1  株式会社大京は、平成二年一一月一七日、別紙物件目録記載の建築物(以下「本件建築物」という。)の建築確認申請をし、被控訴人(当時、白沢努)は、平成三年二月二六日、同社に対し、本件建築物について建築確認処分(以下「本件処分」という。)をした。

2  県条例五条一項は、次のとおり規定している。

高さが二メートルを超えるがけ(地表面が水平面に対し三〇度を超える角度をなす土地をいう。以下同じ。)の下端からの水平距離が、がけの高さの二倍以内の土地の区域に居室を有する建築物を建築する場合においては、安全上支障がない擁壁又は擁壁の類を設けなければならない。ただし、次の各号の一に該当する場合においては、この限りでない。

(一) がけの形状又は土質によりがけ崩れのおそれがない場合

(二) がけ又はがけの上に建築物を建築する場合において、当該建築物ががけ崩れに対して安全であり、かつ、がけの安全性に影響を及ぼさない場合

(三) がけの下に建築物を建築する場合において、当該建築物の主要構造部(がけ崩れによる被害を受けるおそれのない部分を除く。)が鉄筋コンクリート造若しくはこれに類する構造であり、又は当該建築物ががけから相当の距離に位置し、がけ崩れに対して安全である場合

3  本件建築物の敷地の北側法面(以下「本件法面」という。)は、県条例五条一項本文にいう「がけ」に当たり、その勾配は四〇度を超えており、本件建築物の建築は、同項本文にいう場合に該当し、がけの上に建築物を建築する場合に当たるところ、本件処分は、同項ただし書二号に該当するもの、したがって、同項本文にいう安全上支障がない擁壁又は擁壁の類の設置を要しないものとしてされた。

4  控訴人は、本件法面と幅員二メートル弱の道路用地(同土地は、控訴人ら近隣住民の共有地であり、相当部分が本件法面中にある。)を隔てて隣接する敷地を所有し、同所に居住している(甲八、乙六、二一の四、控訴人本人、弁論の全趣旨により認められる。)。

三  被控訴人の主張

1  県条例五条一項ただし書二号の具体的基準については、施行細則等で明文の規定が設けられていないが、仙台市においては、宅地造成等規制法施行令(以下「宅造法施行令」という。)五条一項に規定する切土又は盛土をした場合のがけ面に対しての擁壁の設置に関する技術的基準を踏まえ、また、「建築基準条例第五条(がけに近接する建築物)運用指針(案)」(乙一三。以下「運用指針案」という。)あるいはがけ面の保護等について詳細に検討がされている横浜市建築基準条例(以下「横浜市条例」という。)解説集(乙一四)を参考にして、次のとおりの基準(以下「本件基準」という。)を設定して運用している。

県条例五条一項ただし書二号に規定する場合とは、原則として次に該当するものをいう。

建築物の基礎が鉄筋コンクリート造であり、かつ、がけの下端と建築物の基礎とを結ぶ線の勾配が次表上欄の土質に応じ下欄の角度以下であるもの

土質

勾配

軟岩

(風化の著しいものを除く。)

六〇度

風化の著しい岩

四〇度

砂利、真砂土、硬質粘土

その他これらに類するもの

三五度

盛土

三〇度

2  本件基準は、以下に述べるとおり県条例五条一項ただし書二号の解釈の基準として相当なものである。

(一) まず、県条例五条一項ただし書二号は、前段の「当該建築物ががけ崩れに対して安全であり」との規定の関係では、三号と同様に、仮に万が一がけくずれが起きた場合でも建築物が安全であることを求めており、後段の「(当該建築物が)がけの安全性に影響を及ぼさない場合」との規定の関係では、一号とは別に二号を規定した趣旨に照らすと、がけ崩れのおそれが一切ない状態までを求める趣旨ではなく、建築以前までの状態が維持できる計画であれば、擁壁又は擁壁の類の設置を要しないという趣旨であると解せられる。

(二) 右1の考え方の中心あるいは基礎となっているのが宅造法施行令の考え方であるところ、同法施行令五条一項、別表第一の規定は、土質に応じて一定の勾配以下となっていればがけ崩れの危険性が極めて小さい勾配すなわち安定勾配を定めたものであり、この勾配は、宅地造成である切土をした段階でそのまま放置したとしても、また将来建築行為をし建築物が建った場合でも安定しているとされる勾配である。

土質が本件のような風化岩の場合、がけ面の勾配が四〇度以下であれば、仮にがけの上の宅地に建築物等の荷重が加わった場合でも、それは四〇度以内のがけ面の外側には伝わらずに、その内側の宅地地盤のみで支えられ、がけが崩れるおそれはないと考えられる。このような考え方から、同法施行令五条においては、宅地造成である切土をした場合にできたがけの勾配がそのがけの土質に応じた安定勾配以下であれば擁壁の設置を要しない旨規定しているのである。

県条例五条一項ただし書一号の規定は、宅造法の安定勾配以内であればがけ崩れのおそれがないとの考え方を基礎として、がけそのものの勾配が安定勾配以内となっていれば建築物の敷地の安全が確保されるとするもので、宅造法施行令五条と全く同様の内容といえるのである。

次に、県条例五条一項ただし書二号の趣旨は、本件のように安定勾配より勾配の急ながけの上に建築物を建築する場合においても、根入れを深くし、建築物の基礎が安定勾配内に入っているので建築物は安全といえる(前段該当)のであり、また、建築物の荷重は安定勾配以内のみに伝達され急勾配のがけの部分には伝達されないと考えられるから、結果としてがけの安全性には影響を及ぼさないといえる(後段該当)のである。それゆえ、本件基準は、建築物の基礎とがけの下端とを結ぶ線に着目したものとなっているのである。

(三) 横浜市条例三条一項ただし書三号の規定は、宅造法施行令にいう安定勾配内に建築物の基礎が入っていれば建築物の荷重ががけに対して影響を及ぼさないとの考え方から策定されていることは明らかであり、横浜市条例解説集も、がけの下端と建築物の基礎とを結ぶ線の勾配を基準としており、これは、右(二)の宅造法施行令の考え方をもとにして導かれるものである。

そして、県条例五条一項ただし書二号の「建築物が……がけの安全性に影響を及ぼさない場合」との規定は、横浜市条例三条一項ただし書三号の「建築物の基礎の応力ががけに影響を及ぼさないとき」との規定と同義である。なぜならば、建築物の応力とは、建築物の基礎から地盤にかかる建築物の荷重を意味しているので、「建築物が」との表現と「建築物の基礎の応力が」との表現とでは意味に差がないと解されるからである。

(四) 運用指針案五条(2)も、右(二)の宅造法施行令の考え方をもとにして導かれるものである。

そして、本件基準の定立に当たっては、運用指針案五条(2)において、基礎を鉄筋コンクリート造とする部分及びがけの下端と基礎とを結ぶ線の勾配を土質に応じ一定の角度以下とした部分をそれぞれ参考としたものである。このなかで、基礎を鉄筋コンクリート造とする部分を参考にした理由は、右の構造であれば建築物の荷重を安全に地盤に伝達することができるからである。

3  本件建築物の基礎は、鉄筋コンクリート造であり、本件法面は、風化の著しい岩(切土の軟岩)に当たるところ、本件法面の下端と本件建築物の基礎とを結ぶ線の勾配は、四〇度以下となっている。

したがって、本件建築物の建築は、本件基準に該当し、県条例五条一項ただし書二号に該当する。

なお、被控訴人が行う同号に該当するか否かの審査は、地質学的、土質・地盤工学的知見に基づいた専門的な審査までする必要はない。

四  控訴人の主張

1  県条例五条一項は、がけ付近における建築物の建築に伴うがけ崩れのおそれ等を防止するためには、建築基準法一九条四項その他の建築基準法令のみでは不十分であるとの判断に基づいて、がけ付近における建築物の建築に対し、建築基準法四〇条により特に規定されたものであるから、県条例五条一項本文の例外規定である同項ただし書各号の解釈は極めて厳格になされるべきである。

したがって、地質学的、土質・地盤工学的知見に基づいて「当該建築物ががけ崩れに対して安全であり、かつ、がけの安全性に影響を及ぼさない」と認められる場合に限り、県条例五条一項ただし書二号該当性を認めるべきであるところ、本件においては右に該当すると判断することはできない。このことは、甲一三、二二、二三の各記載から明らかである。

2  本件基準に該当する場合に、何故県条例五条一項ただし書二号に該当するといえるのかについての地質学的、土質・地盤工学的知見に基づく根拠が全く不明である。また、宅造法施行令五条一項の基準や横浜市条例解説集の記載から、本件基準が導き出される余地はなく、むしろ、宅造法施行令五条一項の基準によれば、本件法面は擁壁又は少なくとも「風化その他の浸食に対して保護する」擁壁の類の設置を要するがけに該当するものである。

3  被控訴人の県条例五条一項ただし書二号についての解釈は、建築物の荷重にのみ着目し、がけそのものの危険性を一切無視した不当なものである。すなわち、基礎が安定勾配内に入っており、建築物の荷重が安定勾配内にのみ伝達され急勾配のがけの安全性には影響を及ぼさないとしても、がけそのものの勾配が安定勾配以上であれば、がけの安定性に問題があることは明白であるから、同号該当性が認められるためには、がけそのものの勾配が安定勾配以内であることを要すると解すべきである。

県条例五条一項は、がけ付近に建築物を建築する場合のみに関する規定であるから、ただし書としては、二号と三号とがあれば足りるのであり、本来一号は不要な規定というべきであり、そのような規定である一号を基準として、二号について、がけそのものの勾配が安定勾配以上であり、がけの安定性に問題があるにもかかわらず、擁壁(の類)の設置が不要となるような解釈をすることは不当である。

4  仮に、本件基準に一応の合理性が認められるとしても、県条例五条一項ただし書二号該当性の判断は、当該がけ付近の状況を踏まえて地質学的、土質・地盤工学的知見に基づき個々具体的に行われるべきであり、本件基準を機械的に適用することは許されない。

また、本件がけの土質は、風化の著しい岩ではなく、関東ロームとほぼ同程度の土質であり、その安定勾配は三五度以内というべきであるところ、本件がけの下端と本件建築物の基礎とを結ぶ線の勾配は三五度を超えており、同号該当性は認められない。

第三  証拠関係

原審及び当審記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

第四  当裁判所の判断

一  証拠によれば、次の事実が認められる。

1  (乙一三)

運用指針案は、県条例五条の円滑な運用を図るため、取扱いに関し必要な事項を定めるものとして、宮城県において運用指針案として作成したものである(ただし、いまだ運用指針として施行されていない。)ところ、本件に関連する部分の内容は次のとおりである。

(一) 県条例五条一項一号の規定に該当する場合は、原則として次の各号のいずれかに該当するものとする。

(1) 硬岩盤(風化の著しいものを除く。)によるがけ

(2) 土質が次表上欄に掲げるものに該当し、かつ、土質に応じ勾配が同表中欄の角度以下のがけ

土質

勾配

軟岩

(風化の著しいものを除く。)

六〇度

八〇度

風化の著しい岩

四〇度

五〇度

砂利、真砂土、関東ローム、硬質粘土その他これらに類するもの

三五度

四五度

(3) 土質が右(2)の表上欄に掲げるものに該当し、かつ、土質に応じ勾配が同表中欄の角度を超え同表下欄の角度以下で高さが五メートル以下のがけ

(二) 右(一)の規定は、土質試験等に基づき地盤の安定計算をした結果がけの安全性が確認された場合は、適用しない。

(三) 県条例五条一項一号に該当し、がけを擁壁でおおわない場合は、原則としてそのがけ面は、石張り、芝張り、モルタルの吹付け等により風化その他の侵食に対して保護するものとする。

(四) 県条例五条一項二号の規定に該当する場合(がけの上に建築する場合)は、原則として次の各号のいずれかに該当するものとする。

(1) 杭地業等により建築物の全荷重を直接支持層に伝える構造としたもの

(2) 建築物の基礎を鉄筋コンクリート造とし、がけの下端から水平距離でがけの高さの0.7倍以上、がけの上端から1.5メートル以上離し、かつ、がけの下端と建築物の基礎とを結ぶ線の勾配を前記(一)(2)の表上欄の土質に応じ同表中欄の角度以下としたもの

(五) この運用指針によりがたい場合は、別途協議の上運用するものとする。

2  (乙一四)

横浜市条例三条一項は、県条例五条一項と同趣旨の規定として、次のとおり規定している(がけの下に建築物を建築する場合の規定は省略する。)。

高さ三メートルを超えるがけ(一体性を有する一個の傾斜地で、その主要部分が勾配三〇度を超える斜面であるもの)の下端からのがけの高さの二倍以内の位置に建築物を建築し、又は建築物の敷地を造成する場合においては、がけの形状若しくは土質又は建築物の規模、構造、配置若しくは用途に応じて、安全上支障がない位置に、規則の定める規模及び構造を有する擁壁又は防土堤を設けなければならない。ただし、次の各号の一に該当する場合においては、当該部分についてはこの限りでない。

(一) がけの全部又は一部が次に掲げるものの一に該当し、がけくずれのおそれがない状態にあるとき

(1) 土質が次表の上欄に掲げるものに該当し、かつ、土質に応じ、勾配が同表中欄の角度以下のもの

土質

勾配

軟岩

(風化の著しいものを除く。)

七〇度

八〇度

風化の著しい岩

五〇度

六〇度

砂利、真砂土、硬質関東ローム、硬質粘土その他これらに類するもの

四五度

五五度

軟質関東ロームその他

これらに類するもの

三五度

四五度

(2) 土質が右(1)の表の上欄に掲げるものに該当し、かつ、土質に応じ、勾配が同表中欄の角度を超え同表下欄の角度以下のもので、その部分の垂直距離の合計が五メートル以内のもの

(二) がけの上に建築物を建築する場合において、その建築物の基礎の応力ががけに影響を及ぼさないとき

(三) 土質試験等に基づき地盤の安定計算をした結果、がけの安全性が確かめられたとき

そして、横浜市建築局監修横浜建築事務所協会発行の横浜市条例解説集では、右(二)について、擁壁を築造することが原則であるが、そうでない場合はがけ側の建築物の基礎の根入れを深くする(建築物基礎の根入れ深さは、工事の施工の容易さを考慮して決めること)とともに基礎の応力ががけに影響を及ぼさないようにしなければならないとし、土質によるがけの下端と建築物の基礎とを結ぶ線の勾配について次表(宅造法による基準)を掲げ、がけの高さが五メートルを超える場合は中欄の角度以下、がけの高さが五メートル以下の場合は下欄の角度以下(盛土はすべて三〇度以下)としている。

土質

勾配

軟岩(風化の著しいものを除く。)

六〇度

八〇度

風化の著しい岩

四〇度

五〇度

砂利、真砂土、関東ローム、硬質粘土その他これらに類するもの

三五度

四五度

3  (甲二七)

東京都建築安全条例(以下「都条例」という。)六条二項は、県条例五条一項と同趣旨の規定として、次のとおり規定している(がけの下に建築物を建築する場合の規定は省略する。)。

高さ二メートルを超えるがけの下端からの水平距離ががけ高(がけ下端を過ぎる二分の一勾配の斜線を超える部分について、がけ下端よりその最高部までの高さ)の二倍以内のところに建築物を建築し、又は建築敷地を造成する場合は、高さ二メートルを越える擁壁を設けなければならない。ただし、次の各号の一に該当する場合は、この限りでない。

(一) 斜面の勾配が三〇度以下のもの又は堅固な地盤を切って斜面とするもの若しくは特殊な工法によるもので安全上支障がないと認められる場合

(二) がけ上に建築物を建築する場合において、がけ又は既設の擁壁に構造耐力上支障がないと認められるとき

そして、社団法人東京建築士会発行の同条例の解説では、右(一)の「堅固な地盤を切って斜面とするもの」について、宅造法施行令別表第一を引用し、「特殊な工法」の例として、アースアンカー併用の法枠工法やシートパイル壁工法等があるとし、右(二)について、建築物の荷重ががけ及び既設の擁壁に構造耐力上不利な影響を及ぼさないことが認められる場合は建築できる、例えば、建築物の基礎が当該地盤の擁壁を要しないこう配の上限内に設けられる場合や、建築物の荷重が擁壁の構造計算における載荷重以内である場合等である、この場合のがけ及び擁壁は維持管理が良好で安全であると認められることが必要条件であることは言うまでもないとしている。

二1  被控訴人は、県条例五条一項ただし書二号の具体的基準について仙台市においては本件基準を設定して運用しており、本件建築物の建築は本件基準に該当するから県条例五条一項ただし書二号に該当すると主張するところ、本件基準は文書化されておらず、本件処分当時仙台市建築主事であり本件処分をした証人白沢努においても、いつ策定されたか分からないなどと極めてあいまいな証言をしていることなどに照らすと、はたして本件基準が仙台市における県条例五条一項ただし書二号の具体的基準とされているのかについて疑問がないではないが、本件基準が県条例五条一項ただし書二号の具体的基準として相当なものであれば、本件基準に該当するとしてされた本件処分は結論として県条例五条一項ただし書二号に該当する適法なものということができるから、以下に本件基準の相当性について判断する。

2 県条例五条一項ただし書二号の要件のうち、「当該建築物ががけ崩れに対して安全であり」との要件は、仮にがけ崩れが生じても当該建築物がこれに伴い崩壊等せずに安全であることをいうのに対し、「がけの安全性に影響を及ぼさない」との要件は、当該建築物の建築によりがけの安全性に影響を及ぼさないこと、すなわち、当該建築物の建築によりがけ崩れが生じないようにすることをいうものと解される。

宮城県において県条例五条の運用指針の案として作成された運用指針案は、いまだ運用指針として施行されていないものではあるが、県条例五条一項ただし書二号の「建築物ががけ崩れに対して安全であり、かつ、がけの安全性に影響を及ぼさない場合」との要件該当性の判断基準として、建築物の全荷重を直接支持層に伝える構造とした場合のほか、①建築物の基礎を鉄筋コンクリート造とし、②がけの下端から水平距離でがけの高さの0.7倍以上、がけの上端から1.5メートル以上離し、かつ、③がけの下端と建築物の基礎とを結ぶ線の勾配を土質に応じ宅造法施行令五条一項、別表第一の擁壁を要しない勾配の上限の角度以下としたものとしているところ、本件基準は、右要件のうち①及び③のみを要件とするもので、②については要件として全く触れていない。

この点について、被控訴人は、安定勾配より勾配の急ながけの上に建築物を建築する場合においても、根入れを深くし、建築物の基礎が安定勾配内に入っているので建築物は安全といえる(県条例五条一項ただし書二号前段該当)のであり、また、建築物の荷重は安定勾配以内のみに伝達され急勾配のがけの部分には伝達されないと考えられるから、結果としてがけの安全性には影響を及ぼさないといえる(同号後段該当)と主張するところ、これは、「建築物ががけ崩れに対して安全であり」との要件をみたせば、その結果当然に「がけの安全性に影響を及ぼさない」との要件をもみたすと解するもののようであるが、前記のとおり右両要件は別個独立のものとして規定され、かつ、前記のように解されるもので、当然には右被控訴人の主張のようには解されないものである。このことは、運用指針案が前記②をも要件としていることからも窺い知ることができるのであって、がけに近接して建築物を建築する場合には、当然にがけに対する影響が考えられるところから、「がけの安全性に影響を及ぼさない」との要件をもみたすためには、右②を要件とするのが相当であると判断した結果であると推認される。そうすると、この点について全く考慮していない本件基準は、県条例五条一項ただし書二号該当性の判断基準として必要かつ十分なものということはできない。

なお、証人白沢努は、県条例五条一項ただし書二号の解釈として、同三号の対比等から、がけ崩れしても当該建築物が安全であればよいと証言するが、同三号が当該建築物ががけ崩れに対して安全であることのみを要件としているのは、がけの下に建築物を建築する場合には、原則として当該建築によりがけの安全性に影響を及ぼすことはないことから、もっぱらがけ崩れによる被害の発生を予防する措置を規定すれば足りるためであると認められ、これとがけの上に建築物を建築する場合とを同一に論ずることができないことは明らかであり、右証言は県条例五条一項ただし書二号の解釈として到底受け入れられないものである。

3  次に、他の地方公共団体の規定と対比して検討するに、横浜市条例は、「がけの上に建築物を建築する場合において、その基礎の応力ががけに影響を及ぼさないとき」と規定しており、これについての解説では前記一2のとおり本件基準と同様の説明をしているが、右解説は極めて簡易なものであり、これが右要件の必要かつ十分条件か否かは明らかではないし、県条例と横浜市条例とでは右のとおり規定の仕方を異にしている上、県条例の規定の方が横浜市条例の規定よりも規制の程度が厳しい部分があるから、いずれにしても、右横浜市条例の解説から、本件基準の相当性を導き出すことはできない。

また、都条例は、「がけ上に建築物を建築する場合においで、がけ又は既設の擁壁に構造耐力上支障がないと認められるとき」と規定しており、これについての解説では、前記一3のとおり一例示として本件基準と同様の説明をしているが、他方において、この場合のがけ及び擁壁は維持管理が良好で安全であると認められることが必要条件であることは言うまでもないとしており、右本件基準に相当する例示部分が右要件該当性の必要かつ十分条件でないことを明らかにしている。

4  以上に説示したとおりで、本件基準は、県条例五条一項ただし書二号の具体的基準として必要かつ十分なものであるということはできない。そうすると、本件基準に該当するというだけでは同号に該当するということはできず、他に本件建築物の建築が同号に該当することについて主張はない。

5  さらに、本件建築物の地盤について検討するに、証拠(甲一三、二三、二六の一ないし四、乙一七、二一の四・五)によれば、本件建築物の支持地盤は、凝灰岩(凝灰質砂岩)であるが、一部に風化により砂質粘土となっているところもあること、本件法面は、高低差約3.5メートルないし8.6メートルの急崖をなしていて、その上層部の相当部分は、右凝灰岩上の砂質粘土(粘性土)、旧表土、盛土からなっており、全体に風化が進んでいること(標準貫入試験によるN値はおおむね五以下)、本件法面の大部分は、擁壁(の類)が設置されておらず、右風化が著しいところでは崩壊現象が出現しているところもあること、本件建築物は、本件法面の上端部分にほぼ接する状態で建築することとされていること、本件法面の下端と本件建築物の基礎とを結ぶ線の勾配は、四〇度以下となっていることが認められる。

右認定の事実によれば、本件法面は、被控訴人が主張するような「風化の著しい岩」(切土の軟岩)に当たるとは直ちにいい難く、より低いランクの土質に当たる可能性も考えられ、そうすると、本件建築物の建築が本件基準に該当するともいえないことになるし、いずれにしても、本件建築物の建築ががけ(本件法面)の安全性に影響を及ぼさないとは直ちにいえないものといわざるを得ない。

6  したがって、本件建築物の建築が県条例五条一項ただし書二号に該当するとしてされた本件処分は違法なものとして取消しを免れない。

三  よって、本件処分の取消請求を棄却した原判決は不当であるから、これを取り消した上、本件処分を取り消すこととし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官原健三郎 裁判官伊藤紘基 裁判官杉山正己)

別紙物件目録〈省略〉

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